和装挙式スタイル 紋服の歴史|ロイヤルカイラの『ハワイ和装ウェディング』

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紋服の歴史

ハワイで和装挙式を挙げる際に男性の衣装として用いられる紋服は、
正式には紋付羽織袴と呼ばれ冠婚葬祭に着用します。
紋付羽織袴は男性の正礼装として現代に受け継がれてきた背景など、紋服の歴史をご紹介します。

紋服とは

紋服とは

紋服は正式には紋付羽織袴と呼ばれ、紋付の長着に袴をはき紋付の羽織を着けます。 紋付羽織と袴を合わせた姿は男性の正装として、七五三や成人式、結婚式や葬式の冠婚葬祭、観劇やお茶会など幅広く用いられています。

紋付羽織・・・紋は三つ紋(背中心・両後ろ袖)と五つ紋(背中心・両後ろ袖・両胸)があります。衣装の格は五つ紋が高く、染め抜きの紋が正式になります。羽織紐は丸組の白が礼装用になります。

・・・袴はスカートのように間仕切りのない『行灯袴』と、ズボンのように分かれている『馬乗袴』の主に2種類あります。正式には馬乗袴と紋付羽織と合わせて正装とします。 婚礼にはグレー系統の仙台平と呼ばれる荒い縞地の絹織物が多く用いられ、十文字で結びます。

長着・・・長着は足首まで裾のある丈の長い着物で、花婿だけが白の半衿を使うことができます。こちらも黒の五つ紋を着用します。

小物・・・足袋は白を着用し、雪駄は畳表の白鼻緒、手には白扇を持ちます。

婚礼の際に花婿が着用する一般的な紋服、紋付羽織袴が男性の礼装となった歴史をご紹介し

紋服の歴史

紋服の歴史

江戸時代初期、武家社会での婚礼衣装は身分の高い武家のもので、位により着用する衣装が変わり、その種類は狩衣・大紋・直垂・素襖などがあり、普段は長裃や裃を着用していました。
江戸中期になると婚礼は紋服に裃という姿に変わっていき、この頃になると力のある商人や農民など庶民も冠婚葬祭には裃を着用するようになりましたが、幕末になり武士の公服だった裃は廃止され羽織と袴に代わりました。
そして明治初期、太政官布告が公布され宮中の礼服が改められて洋服を礼服と制定した際、「五つ紋の黒紋付羽織袴」も礼装として採用したので正装として広まりました。
元々武士の略礼装だった紋服は現在の勲章等着用規程で第一礼装として定められており、和装の正装となっています。

紋付羽織袴が礼装として広まったのが西洋文化が日本に入ってきた明治初期と時代が浅く、
江戸時代は武士の略礼装でその後庶民の文化として広まったのは意外ですよね。
新郎様がハワイの和装挙式で着付けの際に、紋付羽織袴の歴史など思い出してみてはいかがでしょうか?

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